簡単な自己紹介をお願い致します。
代表理事を務めている岡本です。
東日本大震災を機に支援団体を設立し、故郷でもある陸前高田市にUターンして10年となりました。
桜ライン311は、2011年の東日本大震災をきっかけとして2012年に設立されました。東日本大震災にて発生した津波により甚大な被害を受けた陸前高田市、その津波到達地点はラインにすると約170kmに及びます。
もう一度同じことが発生した時に被害を最小に抑えるため、桜を津波の到達地点に植樹し、後世に伝承することで被害軽減を目指しています。
また津波の怖さ、備えの重要性を子孫の世代まで風化させないため、全国各地で講演会を実施しており、災害の多い日本という国に住む上での意識啓発を目的としています。
桜ラインを防災減災の仕組みだけではなく、街の財産として、住民の皆さんに受入れられていくためにまちづくりに活用し、そのために当市との連携も行っています。
設立に至った経緯や、関わるようになったきっかけを教えてください。
東日本大震災のような地震は周期的に発生する災害です。今でこそ知られるようになりましたが、当時はそうではなく、未曾有・想定外といった言葉がよく使われていました。
周期的に発生しているという事実を知った時、もし震災前の街の人たちがこのことを知っていたなら、亡くならずに済んだ人は多かったのだろうなと思いました。
どこまで津波が届き、何を忘れてはいけないのか、そのことをしっかりと未来を生きる人たちに伝えることで、人的被害の軽減を目指して設立されました。
設立当初は副代表理事として団体設立に参加しましたが、2013年7月より代表理事に就任しました。もっとも最初の関わりとしては、前任の代表理事と副代表理事から相談を受けたことがきっかけです。
震災直後、陸前高田市で復興支援やまちづくりといった活動をするのは、市外から来た人が中心であり、私自身そのことに対する葛藤がありました。
2人ともずっと陸前高田市で居住をしていた人だったので、相談された時はとても嬉しかったことを覚えています。だから代表はその2人がやって、黒子として支えたいと思っていましたね。
実際に設立・携わってみて環境や周り、気持ちの変化などを教えてください。
肯定的な意味で劇的に変化しました。団体を預かる代表理事になってからは、なおのことです。
私たちは寄附を予算の中心軸に置いています。寄附は私たちへの共感や期待がお金として具現化したものです。
だから「私たち」だけではなく「関わってくれている全ての人」という視点で、常に判断するようにしています。
それに私たちの事業は一時的なものでなく、長期にわたる事業です。今考えれば、始める時は大変だったけど、ある意味では楽でした。
始動と継続に必要なエネルギーは異なるということですね。今は長期的に続いていく組織を育てることが、1番の責務だと思っています。
設立時はスタッフもいない小さな団体でしたが、今は7名のフルタイムスタッフで運営をしています。
スタッフにもそれぞれの想いがあり、その上で仕事としてやっています。そんな人の人生を預かるわけです。
そしてスタッフだけではなく、寄附者さんを初めとして多くの方の期待を預かっています。それはとても責任のあることで、とても素晴らしいことだと思っています。
活動を行っていく中で、課題、壁などを教えてください。
前例の全くない事業を手探りで開始しての法人設立、街がこれからどうなるかもわからない被災地での事業運用、
法人経営が未経験の状態での代表理事の就任、時間が経過していくことで増えていく次の被災地との差別化、そして防災減災というジャンルとの整合性と事業継続性の担保…
社会状況の変化や、組織変化に伴う課題や壁はキリがないです(笑)
でもそれは続けていく上での前提条件だと思っています。課題や壁というよりは、当たり前のことでしょうか。覚悟のうえ一生付き合っています。
活動を続けていて、一番嬉しかった出来事は何でしょうか?
「岡本くんが代表理事をする限り、当社は支援を続けるからね」
「翔馬さんが組織を率いるようになったから当社は参加を決めることにしました。」
最初にそう伝えてくれた方への感謝の気持ちは今でもよく思い出します。2代目の代表理事として就任直後はどのように組織を預かり、率いていくべきか、迷いもかなりありました。
そんな時ある2人の方にほぼ同じタイミングで言っていただく経験をしました。当時の私にとっての救いであり、今の私にとっての誇りです。その言葉に恥じないように日々研鑽を積みたいと思っています。
活動を続けていて、悲しかった出来事はありますか?
全国の支援者さんや地域で事業に関わってくれている方が亡くなるのは悲しいです。
出会いがあるようにどうしても別れもあります。特に地域で事業に関わってくれている方は、高齢の方が多いのでしょうがないことではあるのですが・・・。
活動に携わる一人の人として、今後の目標を教えてください。
1.桜の木17,000本の植樹達成
2.自然災害で亡くなる方を1人でも減らすこと
最初に掲げたこの2点はこれからも変わることはありません。そのための私の役割は、30年は続く組織を作ること。
組織運営面でも、事業面でも多くの方が関わりたいと思える組織を育てること。それが一人の人としての目標であり、必ず達成することです
団体としての今後のビジョンをぜひ教えてください。
■Vision (ビジョン):目指す未来
災害で生まれる悲しみを2度と繰り返さない未来を創る
■Mission (ミッション):使命
被災経験のない人の「他人事」(ひとごと)を「自分事」に変える
■Value (バリュー):提供する価値
①津波到達点に桜を植えることで減災を学ぶ場を提供する
②震災の教訓を全国に伝えることで減災を学ぶ場を提供する
③減災のまちづくりを通して人をつなぐ場を提供する
※減災:災害時において発生する被害を最小化するための取り組み」
趣旨としては設立時から変わっていませんが、適宜見直しを行っていて、現在このように設定しています。社会状況にもちろん変化はありますが、柔軟に対応しながら達成していきたいです。
定期的に開催しているイベントやワークショップなどがあれば、教えてください。
桜ライン311では定期的に植樹会を実施しています。11月から12月の秋と、3月の春に実施しておりますが、
新型コロナウィルスの対応で、現在は形態を変えて実施しております。植樹会は桜を植えるだけでなく、防災減災を考える一つのきっかけです。
また自分で植えた桜の管理ボランティアも例年6月〜9月に募集を行っています。ホームページで募集をしておりますので、ご参加いただけたら幸いです。
最後に、エネルギーファンディング®︎に期待することを教えてください!
電気料金は必ず掛かる固定費の一つですが、その一部が寄附になるというのはとてもユニークな取組だと感じています。
私たちの事業は今11年目ですが、この先も20年30年と続いていきます。そこへのご寄附は大変ありがたいものです。
エネルギーファンディング®︎がより多くの方が参加される取組に育っていくことを期待していますし、その中で選ばれる団体であれるように私達も頑張っていきたいと思います。
10mを超える津波の可能性が、震災前から声高に叫ばれていれば! 震災前の防潮堤には、限界があることを知らされていれば! 津波によって奪われた命は、もっと少なくて済んだのではないか? その思いを同じくする者が集まり、「桜ライン311」を立ち上げました。