全国
あしなが育英会は病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、障がいなどで親が働けない家庭の子どもたちを奨学金、教育支援、心のケアで支える民間非営利団体です。
国などからの補助金・助成金は受けておらず、すべて個人や企業、団体等からのご寄付で活動しています。
あしなが育英会は病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、障がいなどで親が働けない家庭の子どもたちを奨学金、教育支援、心のケアで支える民間非営利団体です。
国などからの補助金・助成金は受けておらず、すべて個人や企業、団体等からのご寄付で活動しています。
あしなが運動の始まり
あしなが運動の原点は、2つの痛ましい交通事故にあります。1961(昭和36)年、新潟で岡嶋信治(本会名誉顧問)の姉と甥が酔っぱらい運転のトラックにひき殺され、初の殺人罪が適用された交通事故。1963年には、玉井義臣(本会会長)の母が暴走車にはねられ、1か月あまり昏睡状態の末、亡くなりました。岡嶋は1967年に「交通事故遺児を励ます会」を結成。まもなく玉井を相談役に迎えて本格的に遺児救済のあしなが運動が始まり、1969年には財団法人交通遺児育英会が発足しました。
あしなが育英会誕生
街頭募金や継続的にご寄付をくださるあしながさんに支えられて進学できた交通遺児たちが、「恩返し運動」として1983年に災害遺児の奨学金制度をつくる運動を始め、1988年に災害遺児奨学金制度が開始。さらに災害遺児が病気遺児の奨学金制度づくりを呼びかけ、1993年の病気遺児奨学金制度開始に合わせて、あしなが育英会が誕生しました。
阪神淡路大震災遺児支援と心のケアの広がり
1999年には、阪神・淡路大震災遺児の心のケアの拠点「神戸レインボーハウス」が世界中からの支援を受けて完成。同年、コロンビア・トルコ・台湾で立て続けに大地震が発生し、神戸の震災遺児たちが「恩返しをしたい」と支援を呼びかけたのが海外の遺児支援活動に発展していきました。
世界の遺児の中でも特に困難な状況にある、アフリカの子どもたちへの支援が提案され、2003年アフリカ・ウガンダに「ウガンダレインボーハウス」を建設。2007年からは読み、書き、計算の勉強をする「 TERAKOYA」も始まりました。
2012年には、将来アフリカに戻り母国の発展に寄与する若者を世界の大学へ進学させる「あしながアフリカ遺児高等教育支援100年構想」を正式に公表し、遺児支援は一層広がり続けています。
東日本大震災遺児支援
2011年の東日本大震災発生後には、被災地の避難所を訪ね遺児を探しました。0歳から大学院生までの2083人の遺児に対して、返還不要の特別一時金(1人あたり約282万円)を給付しました。また仙台市、石巻市、陸前高田市で震災・津波遺児のための心のケアの拠点「東北レインボーハウス」を運営し、継続的に遺児・保護者のケアプログラムを行っています。
コロナ禍の特別給付金
2020年の新型コロナウイルス感染拡大に際しては、コロナ不況により減収した遺児家庭の窮状を救うため、全奨学生に対して、2度の「緊急支援金」を給付しました。